2013年8月23日金曜日

頑張れ、個人作家たち(お前もだ、自分)

 かつてキックボクシングをしているときに感じたのと似たような気持ちが、なぜか最近込み上げてくる。黙々と練習に励み、全力で試合に臨む青年たち――。決して裕福とは言えなかったにしても、それなりのサラリーマンで、生活にこと困るようなことのなかった僕には、彼らがとても信じられなかった。

 夕方まで日雇いの重労働をこなし、それが終わるとジムで汗を流す。でもそれは尋常な汗じゃない。体中の血液を絞りだすような苦行だ。僕には不思議でならなかった。どうしてそんなに頑張るのか――

 実は今でもよくわからない。当時の格闘技人気は、これ以上ないくらいに低迷していて、仮にチャンピオンに上り詰めたとしても、専業で喰っていけるかどうか疑わしいほどのレベルだった。そんな世界に身を投じ、彼らは何を求めていたのだろうか?

 そんな疑問を心のどこかに燻らせながら年老いた今、最近、その燻りがふたたび首をもたげ始めた。そう、小説書きの人たちのことである。

 活字離れ、出版不況、作家を取り巻く環境は決して順風満帆とは言えない。電子書籍の環境整備のおかげで、作品を発表するハードルは確かに低くなった。でも、とてもそれで喰っていけるレベルにはない。それどころか、小学生のお小遣い程度のお金を得るのがせいぜいなのだ。では、出版社の目に留まって紙の書籍を出したら世界は変わるのか? 僕はそれも疑わしいと思っている。なにしろ、数多い商業作家でも、専業で食べていける人は一握りだと言われているのだから。

 その先にはバラ色の世界なんてないかもしれない。じゃあ、どうしてみんなそんなに頑張るのか――僕には不思議でならないのである。小説を書くという作業は、とてつもなく辛く、自己の甘えとの極限の戦いと言っても過言ではない――と僕は思っている。

 しかも頑張ったあげくに、死にたくなるような辛辣な書評が待っているのだ。

 厳しい書評は、作家にとっての劇薬だと思う。これなくして成長はないけれど、一歩間違えるとそのまま沈んでしまう。だからこそ、創作は、いかなる書評をも叱咤激励として受け止める覚悟がなければ続けられない。でも、中には目を覆うような書評も散見される。作者の人間性をも否定するような書評である。もちろん気持ちはわかるけれど、できれば、魂を削って創作している作家のことも、少しだけでもいいから考えて欲しい、と思うのである。

 ただし例外もある。それは、評論家の方々だ。最近、個人作家の作品を読んで評論を書いてくださる方々が少しずつ増えてきた。とても嬉しい。僕のゴミのような作品ですら、取り上げていただくこともあるくらいだ。そういう方が書かれる書評は、おおむね厳しいものが多い。

 とても良いことだと思う。
 人間性を否定するのではなく、(ちゃんと読んで)作品を評価する。そこには利害関係もなければ、利己都合もない。 何を隠そう、僕の作品も、ケチョンケチョンに叩かれた。でも、

 とても嬉しかった。


 そしてそれは、これまでの商業出版、例えば著名な作家が美辞麗句を恥ずかしげもなく綴る嘘よりも、読者にとっては遙かに価値ある意見だと思う。個人出版に対する正直な意見こそ、長い目で見れば、読者の信頼を勝ち得るエンジンになると僕は信じて止まない。

 けっきょく何が言いたいのかわからないままに終わりにきてしまったけれど、最後に声を大にして言いたい。いや、言わせてください。

 頑張る若者、それを支える心熱き人たち、まだまだ日本は、捨てたもんじゃないですよ。

 

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