2014年4月30日水曜日

新作発表のお知らせ

 今年に入って「殺薔薇」「エンジェル」と立て続けに2作を発表した達成感も、燃え尽きた感も、もう朝霧のようにすっかり消え失せてしまい、さっそく新作の創作に取りかかった、とんだジャンキー野郎の如月です。

 色々と悩みましたが、今回も、神話ものの、それもぶっちぎりでぶっ飛んだ神話ものに決めました。ただし今までとは違い、次作はエジプトの神々が主役です。そう、太陽神ラーを初めとしたとても危ない連中ですね。

 ということで、題名はもちろん、「サハラ」。今回はアマゾンではなくエブリスタにて先行発表を行いますました。(毎週、1章ずつくらいを目安に、順次公開します)

 では、さっそく作品の紹介を。




古代エジプトの神々が現代に蘇り、ふたたびこの世を絶望の淵へと突き落とす。
果たして人類はこの絶体絶命の難局を乗り越えることができるのか――



サハラ

如月恭介




――六月下旬、エジプト・カイロ――
「きゃー!」
 ヤスミーンはほうきを持ったまま腰を抜かした。それでもなんとか起き上がり、這うようにして部屋の隅のテーブルの上の電話機に手を伸ばした。
「た、大変です! お、お客様が……」
 唇が震えてうまく声にならない。褐色の顔は血の気を失い、彫り深い大きな目は見開いたまま固まってしまっている。このホテルで働いて二年、もちろんこんなことは初めてだ。どうしていいかわからないまま途方に暮れているところに、チーフが駆けつけた。
「なんてことだ……ヤスミーン、いっさい触るんじゃない! すぐに警察だ」
 カイロ市警が到着したのは、それから三十分ほどもたってからだった。被害者は百九十センチはあろうかという長身の、熊のように太った白人の大男。顔中を覆う茶色い髭に小粒な目が特徴的で、首には麻のロープが巻き付いている。
「強盗だな――」
 したり顔でぼそりと呟いたのは、ムハマンド警部だ。といってもべつに彼が人並み以上に洞察力に優れていたわけではない。部屋のありさまを見れば、誰もがそう思ったに違いない。大きなスーツケースはひっくり返され、部屋中に洋服や所持品がぶちまけられていた。じっさい調べてみると、財布やパスポート、その他、金目の物はいっさいがっさい持ち去られていた。
「サイード、なにボケーとつったてんだ。お前もそこらへんを調べろ!」
 ムハマンド警部に叱咤されて、ようやくサイードは小熊のようなその小さな体を動かし始めた。いかにもやる気のなさそうにベッドの下を覗いたり、シーツを捲ったりしている。そして彼が、その短い腕で枕をひっくり返したときだった。小さな、切手ほどの大きさの青いプラスチックの欠けらが零れ落ち、それを拾ったサイードは吊り上った眉をさらに吊り上げ、丸い目を寄せてじっとその欠けらを見つめた。どうやらメモリーカードのようだ。
「警部、こんなものが出てきましたけど」
 サイードはそのメモリーカードを太くて短い指で摘むと、ムハマンド警部に見えるように前へ突き出した。しかし残念ながらコンピュータに疎いムハマンド警部には、それはただのゴミにしか見えなかったようだ。
「そんなものはどうでもいい。早く犯人の手掛かりになるようなものを探せ!」
 サイードはそのメモリーカードをポケットに突っ込むと、慌ててベッドの周りを探し始めた。しかし闇雲に手に触れたものをひっくり返しているだけで、探しているというよりも、ただ散らかしているだけにしか見えない。けっきょくその日彼らは、犯人の手掛かりをになるようなものは何も見つけることができなかった。
 その後の調べで、被害者の名前はヘンリー・ダニエル、アメリカの大学教授であることが判明した。死因は頸部圧迫による窒息、首に巻き付いていたあの麻のロープで絞められたのが原因だ。
 しかし犯人の手掛かりが何も得られないまま、この事件はたったの二週間で捜査が打ち切りになってしまった。まあそれも無理はない。ここのところの政情不安で、警察当局もこんな小さな事件にいちいち構っている余裕などなかったのだ。

一 神々の墓

――七月中旬、東京――
 三十人ほどが収容可能な帝都大学の講義室を、午後の気怠い空気が包み込んでいた。単位の収得だけが目的といったいかにも興味のなさそうな学生が十人足らず、青春の貴重な時間を無為に費やしていた。ある者はボーッともの思いに耽り、ある者は高価な教科書に顔をうずめて涎を垂らしている。それでもかまうことなく、本条真一は話を続けた。
「……そして今から五千年前、知恵と力を付けたエジプトの民は次第に太陽神・ラーの命令に従わなくなった。そしていよいよ人類に失望したラーは、人類を滅亡させることを決意した――」
 真一は糸を引いたような切れ長の細い目を、ちらりと壁の時計にやった。三時十五分、残りあと十分だ。少し早いけれど、まあいいだろう。いつものことだ。
「最後に、何か質問はあるかな?」
 もちろん手を上げる者など誰もいない。静まり返った講義室に、無為な時間が虚しく流れる。
「じゃあ少し早いけど、今日はこれで終わりにしよう」
 途端にざわめきが広がり、ガタガタと椅子の音が響き渡る。先を急ぐ学生たちのその顔は、先ほどまでとは打って変わって笑顔で満ち溢れている。
 一歩外へ出ると、どんよりとした鉛色の梅雨空が広がっていた。べっとりとした不快な空気が全身にまとわりつき、低く垂れこめた雲が生み出す閉塞感が、ますます気分を滅入らせる。
「こりゃ、もうすぐ降りだすな……」
 独り呟くと、真一は黒い傘を手にしてキャンパスの並木通りに歩を進めた。

「いったい何が起こったんだ?」
 アパートの片隅で、無造作に伸ばした天然パーマの巻き毛をかき上げながら、真一は頭を悩ませていた。いくら考えても答えが出てこない。乾いた喉にグイッとビールを流し込むと、真一はもう一度パソコンのモニターに目をやった。画面一杯に灰色の板状の物体が大きく映し出され、その表面には、何やら小さな絵のような不思議な記号がびっしりと彫られている。『ヒエログリフ』という、古代エジプトで用いられた象形文字だ。真一はマウスを動かし、今度はメールを開いた。
『真一、ついに見つけたよ。神々の墓室のありかを示す地図の、最後の一ピースだ。しかしちょっと厄介なことになった。もし私に何かあったら、後は頼んだよ。――ダニエル――』
 もう何度読み返したかわからない。真一の友人、ヘンリー・ダニエルからこのメールが届いたのはもう二週間も前のことだ。そしてこれが彼からの最後の便りになってしまった。それ以来連絡の途絶えていたダニエルの悲報が届いたのは、つい昨日のことだ。彼が他界してからすでに二週間も過ぎていた。
 真一とダニエルとの親交は、もうかれこれ五年にもなる。カイロで開かれた考古学会の会議で知り合ったのがきっかけで、今でもそのときのことが昨日のことのように思える。真一は宙に目をやり、その日のことを回想した。
――五年前のあの日の夜、会合が開かれたホテルのバーのカウンターで、真一はウィスキーを飲んでいた。
「隣、いいかな?」
 はっとして振り向くと、茶色い髭に埋もれた赤ら顔の大男の笑顔があった。
「あ、ああ、先ほどはどうも……」
 たしか今日の会議で、真一の発表のときに質問をしてきた男だ。特徴あるその髭面と巨体は、忘れようがない。
「えーっと、君の名前は、たしかカミジョウだったね」
 隣の席の椅子を引きながら、小さな目を少し細めて男は尋ねた。
「うん、上条真一だ。真一と呼んでくれ」
「私はヘンリー・ダニエルだ。イリノイ大学で考古学の研究をしている」
 二人は握手を交わすと、お互いに簡単に自己紹介を済ませた。ダニエルは四十二歳、真一よりも十歳ほど年上で、真一同様に背が高く、百八十センチは軽く超えているだろう。とはいっても華奢な真一とは対照的に、熊のように太い体をしていた。専門は古代エジプトで、一介の研究生の真一とは違って研究室を構える堂々たる教授だ。しばらく世間話をした後、唐突にダニエルが切り出した。
「真一の意見、とても興味深かったよ」
「僕の意見?」
 真一は首を傾げた。
「今日の会議での、君の発表のことさ」
「ああ、そのことか」
 真一は小さく頷いた。彼は今日の会議で、ギザのピラミッドの建造理由に関する独自の説を発表したばかりだ。
 ピラミッドの建造理由に関しては、様々な説がある。最も一般的なのは、王の墓だという説だ。じっさいそれを裏付けるように、数多くのピラミッドから当時の王の棺やミイラが発見されている。しかしそれを否定する意見があるのも事実だ。その意見の中のひとつが、神々の祭壇だという説である。その祭壇説の中にも色々あって、神々が天と地を行き来するためのものであるとか、宗教儀式行うためのものであるとか、多種多様である。あるいは、失業対策のためにつくられたものだと主張する者もいる。いわゆる公共事業である。古代エジプトでは毎年のようにナイル川が増水したと考えられていて、その間は農地が水の下に沈んでしまい農民は仕事が出来ない。そこでその期間の農民の仕事を補償する目的で、つまり失業対策のために建造されたという説である。その公共事業目的という説の中にも、また別の理由を唱える者もいる。それは人民統治である。ひとつの共通目的のためにともに汗を流し、そのことで人民の心を一致団結させようとしたのだというものだ。
 しかし真一の考えは、それらのどれとも異なっていた。彼の考えているピラミッドの建造理由とは、『神々の家の提供』である。もちろん神々が物理的に存在したわけではないから、正しくは、『神々の魂の安息場所の提供』と言った方が適切かもしれない。古代における神々とは我々が一般に想像するようなものとは少し違い、万能であるこということには相違ないけれど、決して慈悲深い存在などではなかった。すこぶる感情的で、わがままで、利己的な存在だったのだ。機嫌を損ねれば荒れ狂い、人類に多大なる災害をもたらす危険な存在として捉えられていたのだ。しかも古代の人々にとっての神々とはけっして抽象的な概念としての偶像ではなく、この世に実在する身近な存在だったのである。もちろんその姿形は見えなかったに違いないだろうけれど。
 だから古代エジプトの王たちは、その神々の機嫌を損ねないように彼らのための快適な居場所を提供した、というのが真一の考えだ。
「ダニエルはどう考えているんだい?」
 真一が訊ねると、ダニエルは思わせぶりにあごひげを撫でつけ、そして少し間をおいておもむろに口を開いた。
「どちらかというと、真一の意見に近いかな」
「どちらかというと?」
「ああ、神々の怒りを鎮めるのが目的だという点では、真一と同じ考えだ」
「じゃあ、君もあれは神々の家だと?」
 そう言うと、真一は琥珀色のグラスを口に運んだ。氷の山が崩れ、カランと乾いた音を立てた。
「少し違うな。かつては私も、真一と同じことを考えていた時期もあるけどね」
 ダニエルはその太くて短い首を軽く横に振った。
「じゃあ、今はどう考えているんだい?」
 真一は手にしたグラスをゆっくりと回した。じっとそれを見つめるダニエルの表情が次第に真顔に変わり、そして低い声でボソリと言った。
「あれは、神々の墓だ――」
「か、神々の墓だって……」

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