2014年12月4日木曜日

錯覚をおぼえる? 重言のお話 #言葉のお勉強

 さて皆さん、表題に違和感をかんじましたか? かんじない? それは困りましたね。いや、この文章にも違和感をかんじてほしいところです。お分かりの方はすでにお分かりのように、これは誤った日本語の用法で、「重言(じゅうげ」といいます。まあ、わかりにくいようにあえてひらがなで表記したわけですけれど、

1.錯覚を覚える
2.違和感を感じる

 こうやって漢字で書くと一目瞭然、同じ意味の言葉を繰り返していて、不自然な表現であることがわかりますね。まあ2は慣用上許容されるとの見解もあるようですが、美しくないことに変わりはありません。せめて「違和感を覚える」とでも表記したいところです。
 そんなこと言われなくとも知っとるわ、と仰る御仁もいらっしゃるでしょうが、意外とこの重言、BlogやSNS等で普通に使われていたりします。(さすがに商業出版物では見かけることはあまりありませんが)

 特に間違えやすいのが、付けなくてもいい余計なものを付けてしまうことです。たとえば、

古来から
太古の昔
背中に背負う

 そう、正しくはそれぞれ、古来(意味:ふるくから)、太古(意味:大昔)、背負う(意味:背中に担ぐ)、ですね。言われてみれば気づくものの、書くときには案外と見逃しがちなものです。

 ところで、重言かどうか非常にわかりにくい、というか、人によって解釈の異なる表現もあります。たとえば、

旅行に行く

 ですが、直感的には特に違和感を覚えない人も多いのではないでしょうか。(実際、日常の会話では普通に使われているように思います)
 なぜかというと、それはこの旅行という単語が、「旅に行く」という意味だけでなく、「旅」そのものを表す単語として定着しているためです。それどころか、「旅に行く」ではあまりに古風に聞こえてしまい、むしろ「旅行に行く」の方がしっくりくる人も多いかもしれません。ただ、文字にすると「行」が続いてしまうため、美しくないと思う方もいらっしゃるでしょう。であれば、

旅行に出かける

 とでも書けばいいのではないでしょうか。といっても、もし「旅行に行く」が重言だとすれば、「旅行に出かける」もまた重言なのです。なにしろ「行く」も「出かける」も意味は同じなわけで、「旅に行く」に行く、という重複した表現であることには変わりないわけです。しかし不思議なもので、「旅行に出かける」と書くとまったく違和感を覚えないものですね。

 それから、重言ではあるけど、慣用的に許された用法というのもあります。特に多いのが、最初や最後を使った言葉です。

一番最初、一番最後

 この用法はもはや強調表現として一般に受け入れられており、たとえば「もの凄く強烈」なんかと同じなわけですね。また、強調とは違いますが、一般に用法が定着しているものとしては、他にも、

被害を受ける(被害を被る)

 というのもありますね。正しくは「損害を被る(=被害)」なわけですが、そんな言い方をする人の方がもはや稀でしょう。

 まあ、解釈もひとそれぞれで、正誤に関しても曖昧なことの多い重言ですが、読む人が違和感を覚えたり、あるいは稚拙さを感じたりしないように、出来るだけ注意した方が良いかもしれませんね。

 ということで、今回はこれにてお終い。

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