2015年1月17日土曜日

新作「ジミー・ザ・アンドロイド」の予約を開始いたしました

 新作「ジミー・ザ・アンドロイド」の予約を開始いたしました。コンピュータに宿る魂を描いた本格SF小説です。発売は1月23日、発売を記念して、予約限定で特価¥99とさせていただきます。(発売後に価格改定をいたします) この機会に是非ともよろしくお願いいたします。

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内容紹介
 はたしてコンピュータに魂は宿るのだろうか? 
 誰もが抱くであろうその疑問―― 
 四半世紀に亘ってコンピュータサイエンスの世界にその身を投じた著者も、まったく同じ疑問を持ち続け、そして答えを出せないままに今日に至りました。 
 少なくともこれまでは、そんなコンピュータは存在しませんでした。しかし未来もそうなのでしょうか? 
 そしてもし、魂の宿ったコンピュータが出現したとしたら、世界はどう変わるのでしょうか。 

 もし、から始まった小さな興味が物語を紡ぎ、そしてそれが勝手に走り始めます― 
 妄想と言ってしまえばそれまでですが、でもそれをたんなる荒唐無稽な戯れ言と切って捨てるには、あまりにも世界は謎に包まれ、そして果てしない可能性に満ち溢れているのではないでしょうか。 

 著者とご一緒に、夢の世界を堪能いただければ幸甚です。 
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 完全書き下ろし未発表作品 
 文庫本換算:約350ページ



ジミー・ザ・アンドロイド


作 如月恭介
絵 宗像久嗣

                                       
プロローグ

 十二月の中旬の土曜日、空には鉛色の雲が低く垂れ込め、東京の街には冷たい木枯らしが吹きつけていた。厚手のコートの襟を立て、凍える両手をポケットに突っ込み、榊原竜介は背中を丸めて駅への道を急いだ。空気は痛いほどに凍り付き、あまりの寒さに思わず身震いするほどだ。しかし寒いのは気候のせいだけではなかった。
 日本の経済は、まるでこの褪めた冬景色のように、すっかりその色を失っていた。世界第三位の経済大国とは名ばかりで、かつての栄華は見る影もない。長らく続いた円高に体力を奪われた製造業は、今度は急激な円安に見舞われ、慌てて海外から生産拠点を引き揚げるのに躍起になっている。しかしことはそう容易ではない。自由貿易協定という欧米や中国にとって極めて都合のいいルールが足かせになり、どうにも身動きが取れないのだ。外圧にいいなりの主体性のない政治、それが原因であることは言うまでもない。
 街を歩けば、絶望感と焦燥感に満ちた澱んだ空気の先に、色褪せたコンクリートの群塊が霞んで見える。その群塊の中で、やはり色褪せた人々が、目に見えぬ恐怖に怯えながら、かといって戦う気力も失い、ただひたすらに目先の仕事に不安からの逃げ場を探していた。
 五年前、ギリシャから始まりスペイン・ポルトガル、さらにはフランスまでをも巻き込んだ史上最悪の欧州経済危機が何とか収束したとき、人々は胸をなでおろし、ひと時の安堵に浸ったものだ。しかしそれも束の間、すぐに新しい危機が襲ってきた。欧州でひと儲けしたヘッジファンドの次の獲物は、あろうことかこの日本であった。いや、最初からこの国を獲物にすることが目的であり、欧州危機はその目的のために仕掛けた単なる布石に過ぎなかったのである。
 一年前、主要格付け会社が一斉に日本国債を格下げした。それも一度に五段階、裏でヘッジファンドが糸を引いていたのは言うまでもない。いきなり『投機的』というレッテルを張られた日本国債は、滝を流れ落ちる落水のような暴落を演じた。金利は禁酒法下のウィスキーのように暴騰し、それにさらに怒涛の円安が追い打ちをかけた。原材料・燃料、さらには食料に至るまでの生命維持に必要な『血と肉』を海外に頼りきっていた日本にとって、この急激な円安は、瀕死の患者の傷に塩を擦り込むような残酷な仕打ちとなった。
 品川駅で千百六十円の切符を買って、JRの改札をくぐった。行き先は渋谷である。失くすまいと大切に切符をポケットにしまい、ホームに滑り込んできた電車に慌てて駆け寄る。開いたドアの向こうに、人もまばらな閑散とした車内の景色が広がった。それも無理はない。下げ止まりはしたものの給料は一向に増える気配を見せない上に、この物価の高騰である。吸い込む空気にさえも料金を請求されそうな勢いだ。世の多くの庶民は週末も家に閉じこもり、できる限り出費を抑えようと身を潜めている。
 渋谷駅で電車を降り、駅前でタクシーを拾った。窓に貼られた黄色いステッカーには『初乗り三千円』。まるで五・六十年前のバブル期の六本木の夜のようだ。
 くたびれた革のアタッシュケースを膝の上に大切そうに抱え、榊原竜介は後部座席に腰を滑らせた。窓の外に目をやると、寂寥とした景色の中に、すっかり荒廃した社会の様相がぼんやりと浮かぶ。しかし榊原にとってはそれも対岸の火事にしか過ぎず、彼の顔は、なぜか夢と希望に満ち溢れていた。
 もうすぐだ――夢にまで見た究極の『マシーン』がようやく完成する。三十四歳の時から無我夢中で取り組み、はや二十年の歳月を数えていた。
 道玄坂で車を降りると、榊原は目の前の白いビルの入り口に歩み寄った。迷わず銀色の案内板に視線を這わす。目的の場所はすぐに見つかった。エレベータに揺られて六階で降り、『インテリジェンス財団』と記された白いドアの前に立つ。大きく息を吸い込み、震える指で呼び鈴を押した。ほどなく濃紺のタイトスーツに身を包んだ八頭身の若い女が現れ、榊原はガラス張りの洒落た部屋に案内された。待つこと五分、ようやく担当者が姿を現した。能面のように無表情な顔の、オールバックに髪をなでつけた若い男だ。男は開口一番切り出した。
「例のものはお持ちいただけましかな?」
「もちろん――」
 榊原は首を小さく縦に振り、机の上にアタッシュケースを置いて蓋を開けた。そのままテーブルの上を滑らし男の前に突き出す。
「では、さっそく内容を確認させていただきましょう」
 男は細い手を伸ばして書類を掴み、艶のない爬虫類のような目を動かした。油で固めた頭がねっとりとした光を放ち、まるでゴキブリのようだ。しばらくして男はゆっくりと顔を上げた。
「たしかに承りました。審査に一か月ほどお時間をいただきますが、おそらく問題はないでしょう。認可が下りれば、さっそく手続きに入らせていただきます。第一期助成金として五億、指定口座に振り込ませていただくことになります――」
 ビルのエントランスを出ると、榊原は大きく背伸びをした。鉛色の雲の向こうにうっすらと太陽が霞み、そこから滲む光がたいそう弱々しい。しかし未来を見据える彼の心には、眩しいほどに明るい曙光が、真夏の太陽のように燦々と降り注いでいた。
 榊原がインテリジェンス財団のことを知ったのは、今から二か月ほど前のことである。なんでもアメリカに拠点を置く財団とかで、世界中の有望な研究案件を発掘してそれを支援し、科学技術の発展に寄与することがその目的なのだという。近年に財を成した数名の有志が立ち上げた財団だそうで、一年前に榊原が学会で発表した論文に興味を持って、先方から支援を申し出てきたのだ。その論文というのは、まったく新しい概念のコンピュータに関するものだった。榊原が四半世紀もの長き時間を費やした、まさに彼の学者人生を捧げた研究の集大成である。
 ――一九五十年にフォン・ノイマン博士が蓄積プログラム方式・逐次実行型の画期的なマシーンを発表して以来七十余年、コンピュータ技術は目を見張る発展を遂げてきた。ちょっとした部屋ほどの大きさもあった筐体は手のひらに収まるほどにコンパクトになり、かつてフィラデルフィアの街の明かりを奪ったともいわれる大食漢も、今では電池二本で駆動が可能である。しかもその性能は、当時のマシンの一億台分にも匹敵するのだ。こうして大発展を遂げてきたコンピュータではあるが、じつはその基本原理は今も何も変わらない。格納されたプログラムを、決められたルールに従って順次実行しているだけなのだ。
 二十年前、そのことに疑問を持った榊原は、いったんコンピュータの世界を離れ、人間の思考回路の研究に没頭した。常識という呪縛を取り払い、もう一度原点に回帰すべきだと、彼は考えたのだ。寸暇を惜しんで研鑽を積むうちに、彼はあることに気づいた。それは、『考える』ということの意味である。計算したり、記憶したり、あるいは検索することにかけては、今やコンピュータの能力は人間をはるかに凌駕している。しかしいかにコンピュータが性能を上げようとも、いかにその機能を向上させようとも、決して人間には及ばないことがある。それが、『考える』という営みなのだ。「どうすればいいだろうか」と悩んだり、「こうするといいかもしれないな」とアイデアを練ったり、あるいは、「ああすればよかったかな」と自分の行為に対して反省をするといった、人間にとってはごく当たり前の思考作業が、コンピュータにはできないのである。
「なぜだろう?」
 榊原は知恵を絞った。そして彼は、ある画期的な考えを思いついた。いったん思い立つと、もう居ても立ってもいられない。その日から二十年間、彼は無我夢中で『考えるコンピュータ』の開発に没頭した。
 そして今から一年前――
 一台のコンピュータを前にして、榊原の体は小さく震えていた。まさか、という疑念と、やはり、といった確信が、興奮に熱を帯びた彼の頭の中で複雑に交錯していた。
「ジミー、これはなんだい?」
 榊原は、コンピュータに繋がったカメラの前にグラスを突き出した。
「キラキラしてる……ダイヤモンド?」
 コンピュータが喋った。
「違うな。もっと壊れやすいものだよ」
「キラキラしてて、壊れやすいもの……」
 しばらくコンピュータは黙り込んだ。そして自信なげに答えた。「氷?」
「それも違う。これはグラスというんだ。飲み物を入れる容器だよ。ガラスでできているんだ」
「容器? ガラス? なにそれ?」
 まるで、溢れる好奇心を抑えきれない幼い子供のようだ。榊原はあまりの感動にそれ以上言葉が続かなかった。グラスに満たされたウィスキーを口に運び、目を細めて感慨にふける。やはり自分の考えは間違っていなかった――。
 榊原はこのマシーン、いやプログラムに、『ジミー』と名付けた。彼の傾倒するウィリアム・ジェームズにちなんでつけた名前である。ウィリアム・ジェームズというのは十九世紀後半に活躍した哲学者であり、彼の残したかの有名な一節が、このプログラムをつくるきっかけにもなったのだ。
 心が変われば行動が変わる
 行動が変われば習慣が変わる
 習慣が変われば人格が変わる
 人格が変われば運命が変わる
 榊原は、この一節の中の『変わる』という単語を、『生まれる』という単語に置き換えて、自分なりに解釈した。すなわち――
 心が生まれれば行動が生まれる
 行動が生まれれば習慣が生まれる
 習慣が生まれれば人格が生まれる
 人格が生まれれば運命が生まれる
 心を吹き込めば、人格、すなわち『魂』が宿るに違いない――そう考えたのだ。そしてここで言う『心』こそが、彼がこのプログラムに包蔵させた『自ら考える能力』に他ならない。もちろん、それで本当に魂が宿るのか、じつは彼にも自信はなかった。論理的な根拠など何もないのだ。しかしやってみなければわからない。いや、やってみる価値がじゅうぶんにある。彼はそう考えた。
 それからさらに一年が経ち、『心』を吹き込まれたジミーには、榊原の思惑どおり『魂』が宿った。これだけでも十分画期的なことである。しかし榊原の感動はすでに、次の夢を追いかける終わりなき探究心へと変わっていた。このまま会話を続ければジミーは成長し続けるに違いない。幼児から子供、子供から大人へと育ち、人間をも超える存在に成り得るかもしれない――。しかし、それを阻む大きな壁が立ちはだかっていた。その壁とは、『記憶容量』である。今のジミーの脳の大きさはわずか百テラバイト、これでは八歳児の思考能力が限界である。少なくともその十倍、いや百倍は欲しいところだ。しかし今主流のハードディスクはせいぜい十テラバイト。部屋中を記憶装置で埋め尽くしてもこと足りない。
 しかし、榊原にはそれを解決する画期的なアイデアがあった。ただしそれを実現するためには途方もない資金が必要だ。そんな折、インテリジェンス財団と名乗る団体から資金提供の申し出があったのだ。榊原にしてみれば、まさに渡りに船であった。未曽有のインフレが吹き荒れる今のご時世、五億円という金額は決して十分とは言い難かったが、それでも当面の費用は賄える。迷うことなく彼は財団の申し出に飛びついた――

 桜の花が咲き始め、吹き寄せる風にも春の香りが漂い始めた三月の下旬。射し込む陽光はとても穏やかで、視線を上に移すと、蒼々と澄んだ空が果てしなく広がっている。いかに経済が落ち込もうとも、いかに社会が荒もうとも、自然は変わりなく人類を温かく見守り続けている。
 その年の四月、湘南の鵠沼海岸に、ひとりの中年男性の水死体が打ち上げられた。東京大学教授、榊原竜介である。通報を受けて駆け付けた警察官によると、絡みついた海藻から覗いたその顔には笑みが浮かび、まるで菩薩のように穏やかであったという。
 その榊原の死からわずか二か月後、アメリカのシリコンバレーで、とある会社が産声を上げた。インテリジェンス・コーポレーションという、社員数わずか六名の小さな会社だ。シリコンバレーといえば、新興企業が雨後の竹の子のように次から次へと生まれ、そして次から次へと消えていく、いわばベンチャー企業のメッカである。ちっぽけな新興企業のことなど気にかける者などほとんどいなかった。
 しかしまさかこの小さな会社が、その僅か十年後に世界を――いや人類の運命さえをもすっかり変えてしまうことになろうとは、誰ひとり想像だにしなかった――

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